それ捨てちゃうの?〜食品ロス
以前の記事で野菜を洗うバイトもしてると書きました。
ここでも問題になっていることを書きます。
これは、いわゆる食品ロスと言ってよいのですか。食品ロスは英語でそのままフードロスとかも言われていますね。
そして、それに関わっているのに、フードバンクってのもありますね。
大事なことですが、
自分もそうでしたが、
割と中身を知らない、
そんなことから書いてみようと。
ただ、そんな自分も聞いたことがあるくらいの無知なところもあるので、
これをキッカケにお調べいただいたらと思っています。
冬の繊維の多い野菜を洗って出荷しているところで働いています。
今年は実は大豊作でした。
ものも良いです。
今年は夏が暑くて、
一時、雨も少なく、
そんな野菜も多いかと思います。
「良いことずくめで何が問題?」
と言われそうですが、
いまの経済システムでは、
これが問題なのです。
え?で、なにが?
安くて美味しい野菜が食べられるのに?
出さないんです。
市場に。
廃棄します。
作物がなっている姿は
とても綺麗です。
そこにいるだけで、
精神的にも身体的にも良くなりそうな
自然の中で育ったその野菜たちを食べたらきっと健康になるんだなと思わせる、
その野菜を廃棄しちゃうのです。
心苦しいですよ。
でも、出せば、
値崩れして農家がやっていけません。
働いている人の中には、
もちろんそれを問題視している人もいます。
ただ、結局、現場の人の知恵がなければ、
問題は解決されないのが現状です。
その昔はどうだったのでしょうかね。
資本主義経済の前は。
先日、図書館である本を手にしました。
食品ロスに関する調査をまとめた本です。
2017年執筆のものですが、
現在、2020年でも当てはまる内容が多いのかと思います。
そこには、
世界のフードロスの現状と対策、
及び日本のそれが書いてありました。
まだ、読んでいる途中ですが。
結局、こうです。
フードバンクとかで、
その野菜たちは廃棄せず、
一部は利用されていると。
この食品ロスまたはフードロスは、
生産者レベルの問題だけでなく、
加工業者のレベル、
ここでも商品として売れない訳ありや、
店頭には並んだけど売れ残り廃棄、
そんな食品廃棄物もあります。
そして、一部は、
生活困窮者に渡っているそうです。
しかし、ここでも問題山積!
なぜならば、
生活困窮者に食品ロスを渡すのは良くない、渡すなら自活や利便性などから現金だ!と。
それはそうだけど、
そんな理想論だけでことが進まないのは本末転倒。
生活困窮者だけでなく、
食品ロスを解消するのは、
このコロナ禍に於いては特に、
大事なことではないでしょうか?
コマーシャルでもやってますね〜
SDG’sとか。
持続可能な開発目標。
そんな時代なんです。
コロナに関係なく。
時代と言うのかな、
本来に戻ると言うのが正しいような。
好きな物を好きなだけ手に入れる、
そんな時代は終わったと思います。
その物たちは、
必要と言うよりは、
便利と言う理由から
手に入れる物がほとんどかと。
便利は工夫をしてどうにかなるかと思います。
食べ物についても
原点回帰できたらな〜
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教育について
ここのブログで「教育」について読ませていただいていました。
みなさんの感じ方はさまざまだなあと。
たまたま、「教育」で読んでいたので、
学習とか躾けとかだとまた違っていたのでしょうけど、
「教育」だと教える、
つまり、教授や指導とか言った、
先生や講師が生徒に向けて教えを授けるのを「教育」と言ってる方が多いように見受けました。
ただ、塾講師や学習塾の室長、大学講師等、経験してきた私としても何となく筆を取りたくなりました。
中には、教育=体罰として、
教育はいらない!
他の手段が必要だ!くらいの方もいましたし、
私と同世代なのか、
かつてのあの先生の体罰!?躾け!?は愛情があったから良い先生だった!とか、
世代が違うオヤジのかつての言葉や行為は教育的なことだったのかなと、
さまざまでした。
「教育」って言葉は、
実に幅広く使われる言葉ですね。
また、多いのが「教育」の使われる場が、
もちろん、学校や学習塾などの教える場ですが、
家庭もだよね、と。
その通りかと私も思います。
なにを「教育」と言うのか、
どこまでを「教育」とさるのか。
難しいところである。
体罰が当たり前の世代から、
体罰が犯罪が当たり前の世代が混在しているこの時代においては、
もう体罰は犯罪だとしても、
怒鳴って怒られたらパワハラとか
結構線引きが難しいものも存在するが、
野球やサッカー観てても
怒鳴らずしてどうやって選手を強くするの?って思えることばかり。
もちろん、声を上げる肯定派ではないですよ。
時にはって事です。
ここではコロナ禍ってこともあり、
視点を変えてみます。
コロナ禍になり、
リモートでの授業も行うようになりました。
とかく日本のリモート授業は叩かれるところが多いですが。
そんな中、リモートならばと、
不登校の子が授業に参加する話も聞きます。
不登校の子の教育の場に復活できる一つの手段として
注目されました。
これまでにない視点なのかと思います。
すでに行なっていた方もあるかと思いますが、
朝のワイドショウには上がる程ではなかったかと。
嫌ならば自ら繋がなければ良いので。
少し発達障害の子たちの教育に携わったことがあります。
やはり、コミュニケーションを取ることは、
高度な脳機能かと思います。
発達障害の子たちは常にその壁にあたります。
発達障害の子達だけでなく、
大人の発達障害の人たちも
自己の闘いとしながらも耐えて
より良いコミュニケーションを勝ち取ろうと日々努力しているかと。
ただ、どうしてもってことも多いかと思います。
社会が複雑化していることもあり、
高度なコミュニケーションを要求する社会に
なってきていることもありますが、
大人の発達障害が顕在化してきたようです。
大人の社会では在宅勤務も採用されつつ、
オンラインを使って慣れないコミュニケーションの取り方も生活の中に入ってきました。
人との接し方が大きく変わってきたコロナ禍。
人間の難題であるコミュニケーションも
手段の組み合わせによってはより細かく対応できたり、
個々の才能を発掘し利用できたらと感じます。
人によっては地方に住んで、
リモートワークをなさってる人もいますので、
空間も隔てて同じ時計で意思疎通をすることも、完璧ではないにしても可能にはなってきているのかと考えると、
コロナのしでかした事が何とも不思議なもんです。
人間はまた逞しくもあるって事ですかね。
野菜洗い〜つづき

前回、副収入としてバイトを始めたことを書きました。
コロナ禍で食に溢れた人がいるのはもちろんですが、
集まってる人は人に優しく、
扱う野菜にも優しい人ばかりです。
ただ、社会の縮図のような世界です。
少子高齢化社会や
冬と言う季節、
グローバルな時代、
コロナ禍…
いかにもダイバシティーな世界
ちょっと綺麗事ばかり書いてしまいましたが、
朝早くから働き、
洗いのラインである機械の一部であるかのように扱われますけどね😅
まあ、年寄りも多いので
少しは配慮をしてくれますが、
ギリギリまで使われます。
ところで、
冬野菜の洗いは寒さとの闘いです。
泥だらけになりながら、
野菜も洗い、
運んで来た車も洗い、
自らも洗います。
かなり、
手足、腰を使います。
年寄りでなくてもキツイです。
ましてや、農業はなり手が少なく、
お年寄りが多いこと多いこと。
五十肩の自分が痛い痛いと言えないですよ。
まあ〜3K以上なんで
ここもどうにしないといけないところなのか、
それとも土と格闘するのが本来なのか。
機械を入れて掘って収穫降るところから、
洗うところまで機械を入れているような
大規模農業もありますが、
自分が行っている所は、
手掘り手洗いが売りなので、
傷まず美味しいと評判です。
ただ、一つ言えることは、
土は確実に人を癒やしてくれます。
もっと、人は土に触れた方が
良いと思います。
機械式の大規模農業も大事ですが、
マグロの一本釣然り、
野菜の手掘り手洗い然り、
心を込めたら込めただけの事はあるかと思います。
野菜洗い
お恥ずかしながら、
私もコロナに職に影響した一人かも知れません。
対面の教育の仕事をしていたため、
仕事は一時無くなりました。
なぜかそこで気持ちが焦ったのか
辞めてしまって…💦
今は独立を目論みながら、
複数の収入を生み出しつつ、
季節労働者のような生活。
その一つに農協で働いています。
農家さんから上がってきた野菜たちを洗う仕事です。
泥だらけになります。
トラックを移動しつつ
野菜をトラックからから下ろし、
洗う機械にベルトコンベアを使い流し、
洗われたのを箱詰めする。
実に単純作業です!
今までデスクワークばかりの自分からは
想像もつかない世界!
絵的には想像つくも、
キツさは想像以上!
「なんで〜この時代、
こんなにも手作業なのか?」と。
こうも思いました。
働いてる皆さん、
周りの方にも優しいです。
そして野菜の扱いも優しいです。
機械には譲れない部分があるのでしょうかね。
しかし、
そんな第一次産業に
なんとな〜く、
ITとか教育とかとミックスできないかな〜
と、肌で感じにきた自分としては、
「効率化!」
みたいなことを考えてしまいます。
効率化しなくとも、
ここは今の時代、
老若男女に農業の一端でも
経験してもらいたいと感じました。
当たり前に食卓に上がってくる食物が
このようにしてやってくるのだと。
生産から流通までのことを
見たり経験することは
非常に大事だと感じました。
思う以上に愛情込めて、
作られ、
洗われ、
運ばれ、
売られるのだと。
八百屋さんに来るまでに、
艶々した野菜たちはどのような環境の中をやってきたのかと。
そんな経験の機会でも作れたらと思います。
その日のメニュー
前の記事で毎晩の家族の夕食を自分が作っている話をした。
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クックパッドは良き友…かな〜
今年、2020年、
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情報管理〜ネット情報・読書管理
今回は情報の管理について説明する。
昨今は、情報と言えばネットからの情報が多いと思う。
ただ、みなさんも理解しているように、
ネット情報は不正確なところがある。
だから、自己責任で使うことになる。
しかし、便利なので真っ先につかみに行く情報はやはりネットの情報。
それ故に、不正確な情報と正確な情報は分けて使うべきである。
正確!?実は語弊があるかもしれないが、
すべての情報は正しくないと思った方が良い。
科学的な知識でも更なる理論ができ正しくないとされることはよくある。
科学的な正しいと思われていた事実は恐らく、
それは一時的に近似的に的を得た事実なのだろうと思う。
それくらいに考えていた方がよい。
要は、その時代においてより正しいであろう情報とそれ以外に分けること。
しかし、ネット情報はその意味で、
ある意味、より正確な場合もあればそうでないものもある。
この判断が自身に委ねられている。
また、より正確と言われていた、
新聞や本の情報も昨今はリテラシーの問題か
不正確な情報が散見される。
ただ、今でもそこを疑うと先に進め得られないので、
とりあえずは新聞と本はそれなりに正しいとしてよいと思う。
その代わり、一つの新聞記事や本で判断しないこと。
では、ネット情報は検索し、
読みっぱなし・・・
それだと身につかないことは確か。
それを再考し実際やってみること。
やれないものはしょうがないですけど。
再考するためにもストックしなければならない。
そのため、私が使っている手段を紹介します。
ネット検索しブックマークするのは普通かな。